石ころが落ちてない空間

八百万(やおよろず)の神がこの河原に集まり神議されたと伝えられる事で有名な天野安河原(あまのやすかわら)の大洞窟。

休みの日にもなると多くの人が訪れます。

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この日は平日でしたが、結構多くの人が訪れていました。

 

この場所は近寄ると独特の空気感が漂います。

そして、その独特な空気感をより一層強くするのが積み上げられた石の数々です。

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高千穂町環境協会の公式ホームページには次のように記載されています。

「いつのまにか祈願を行う人たちの手によって石が積まれていくようになりました。現在では無数にある積まれた石が天安河原の神秘的かつ幻想的な雰囲気を一層引き立てています。」

一瞬異様な感じもする風景です。

実際現場に行くと、洞窟の中や出口周辺までは、あまり石ころが落ちていません。

洞窟の中だけでは飽き足らず、こんな場所にも石が積まれています。

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腕組みして瞑想中の方が…^^

硬貨を駆使して、こんな場所にも積んでます。DSC07804

石1個だと、「積んでる」と言えるかさえ微妙です。

 

こちらは既に積んでさえいない。何か別の競技がはじまってます。^^

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はまり具合が素晴らしい。

 

先の公式ホームページの紹介にもありますが、この石積みは「誰か」がはじめて、以後来た人が盲目的に「何かが叶う」と信じて積んでいる儀式です。

最近ココに来ると、先例に盲目的に従う社会の縮図を真っ先に感じます。

思考を差し挟むことなく、ただただ従い真似る。そしてそれに意味があると心から信じる。
(心から信じる事が悪いという訳ではないので誤解なく。)

盲信に似た風景は、ちょっと怖い気さえします。

 

社会でも「普通」「当たり前」など、言葉にならない無言の圧力を感じる場面は多々あります。

そして場所や環境によっては、「なぜそうなの?」という少し引いた視点を向ける事さえ憚られる空気を感じる事があります。

ある意味「思考を止める」圧力だったり、「ノリが悪い」という排除感だったり。
(好意的な力も「圧力」ですね。)

 

そういう空気感は人の持つ可能性に大きな制限がかかり、閉塞感や息苦しささえ感じます。

日常の当たり前に「なぜ?」という視点を持ち、思考をして、その上で儀式に従うのは何ら問題ありません。

普通に盲信的に従うのは楽ですが、自分の未来を大きく制限する事に繋がりやすくなります。
(鎖で繋がれる道を選ぶのも自由ですが…。w )

ぜひ身の回りに存在する普通には無思考で従う前に、「なぜこれをするんだろう?」と一度は考えるクセを付けてみてください。

現状からの脱出やチャンスの種は、意外とそういうところに沢山転がっていますから。

 

特に子供と関わる方は、子供達から「なぜ?」を奪わないでください。

子供達の明るい20年後のために。(^_-)

 

☆今日もクリエイティブでいい日が続きます☆

 

 


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